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ネパール大地震被災地訪問記

大山昭典ネパール大地震被災地訪問記nepal report

ネパール大地震の被災地へおおた社会福祉士会会員大山昭典が…

カトマンズ市内の倒壊した古い寺院

2015年8月31日から9月7日まで、高校時代の友人近藤君とふたりで、震災後4か月経ったネパールにバンコク経由で訪問した。
近藤君は20年前からネパールでボランティア活動を続けており、今年4月25日の大地震後、今回が3回目の訪問である。私たちは通訳のニランジャンさん(以下ニラさん)や現地NGOのリーダー、ディラージュさんたちと共に被災地を訪問、住民の人たちと直接交流したり被災見舞金等を差し上げるのが目的である。
今回の大地震の震源地は首都カトマンズの北西約80キロのゴルカ地方、マグニチュード7.8、死者は8,500人といわれている。カトマンズ中心部や周辺にある世界遺産の古い寺院および郊外の軟弱な地盤に建つ家屋は、レンガを積み重ね粘土で固めた造りが多い。
地震で崩壊した建物の瓦礫は片づけられてはいるが、依然として放置され、レンガや瓦礫の山と化したところも目立つ。一方、カトマンズ市内での崩壊建物は意外と少ない。
日本のマスコミ等の報道で、首都壊滅のように思い込んでいたが、家屋やビルの80%は、外見上の異常は窺がわれず、首都圏は遅々ではあるが復興は進んでいるようで、やはり、見ると聞くでは大違いである。


震源地に程近いバイレニ地方へ

バイレニ地方

9月2日、私たちは近藤君の知人カティさんの故郷で、震源地に程近いバイレニ地方へ出掛けた。
カトマンズからランドクルーザーで、土埃と排気ガスの舞い上がるハイウエイや凸凹道を約2時間揺られる。その後は、道端に車を置いてカティさんの道案内で、強い日差しが照りつける中、細い山道を登って約1時間、バウンパラン村の小高い丘の上に住むカティさんの姉家族の家にようやく辿りついた。
予想もせぬトレッキングと水分欠乏で疲れ切っていた身体に、お姉さんが出してくれたネパールミルクティーとゆで玉子、それはそれは美味しかったこと。
カティさんに話を聞くと、大地震の際は、姉の家も近隣のレンガ造りのどの家も壊れたという。地震は多くの人たちが外に出掛けている昼前に起きたので、同じ集落では幸いにして亡くなった人は一人も出なかったという。地震のあとも家族や親族はこの地から離れることなく、自力でトタン屋根の仮設小屋をつくり、みんなで寄り添いながら暮らしを続けている。この地は交通の便の悪い場所でもあり、震災後の今日まで救助隊やボランティアは誰ひとり来ていないという。早速、近藤君から姉家族にお見舞金をお渡しする。
今日は夕方から集落のお祭りがあるとのことで、近くの人たちが家のたたきに座り込んで、野菜を刻んだり、豆の皮をむいたりしてご馳走の準備。私たちの昼食は豆スープ、青菜・ジャガイモ・ヤギ肉入りカレー、もぎたてのトウモロコシなどすべてが新鮮で美味しい。
食事後、トタン屋根に覆われた長屋風の仮設住宅を見させてもらったが、中は身の回りの物や敷布団などが所狭しと置いてあるだけだった。
姉さんの家から少し離れた道端の小さな広場では、竹材で囲われた仮設小屋の中で先生と子供たち10人余りが地べたに座り込み、本やノートを広げて勉強していた。


ドリケル市街にあるカトマンズ大学ゲストハウスに泊まる

子供たちと

9月3日、カトマンズ東方30キロのドリケル市街にあるカトマンズ大学ゲストハウスに泊まる。夕食は近くの食堂でネパールビールとニラさん自家製のロキシー(米の蒸留酒)を片手に近藤君お気に入りのチキンチリ(鶏肉の唐辛子炒め)を腹一杯味わう。
翌朝、ヒマラヤの眺望を期待したが、雲に覆われて見えず。次の訪問地カトマンズの近郊バクタブルに向けて乗合バスに乗る。客がぎゅうぎゅうに詰め込まれて身動き一つ出来ぬ状態。ザックや荷物は窓から放り出し、乗客をかき分けやっと下車、マリーゴールド小中学校を訪問する。7年前にも私はこの学校を訪問している。近藤君は校長先生夫妻とは長年のお付き合いとのこと。この学校でも震災被害あり、付属の幼稚園建物は壊れたが、小中学校の建物はひびが入った程度ですんだようだ。この学校では小学1年生から英語を教えている。午前10時、授業中の小学校3年のクラスに飛び入りし、両手を合わせ笑顔で「ナマステ」(こんにちは)と挨拶。私たちのために折り紙の授業に急きょ変更。私の拙い英語と身振り手振りで、生徒がそれぞれ新聞紙でカブトをつくる。 (新聞紙のカブト、中央左が先生と私)次に折紙で折鶴を作ることにしたが、これはなかなか大変な作業、ついに時間切れとなる。生徒たちの澄んだ黒い瞳と屈託のない笑顔がとても印象的だった。
午後はニラさんの姉婿ヤギヤさんの招待で、カトマンズ北部のリゾート地に向かう。リゾートハウスからカトマンズ盆地が霞んで見える。ヤギヤさんはじめ世界マスターズの陸上出場メンバーなど10人と合流。薪を燃やし、夜を徹して飲めや唄えの大宴会、その後は大部屋で全員雑魚寝。早朝から犬や鶏のけたたましい鳴き声に起こされるなど非日常の生活を体験した。


ネパールは世界最貧国のひとつ

全壊したカトマンズ北部のマニッシュさんの家跡

ネパールは世界最貧国のひとつと言われ、毎年、イギリス、アメリカ、日本等から多額の資金援助を受けている。電力不足のため1日12時間の計画配電(停電)は今も続いている。大地震の影響や雨季の関係で、外国からの観光客が激減しているため、国の主な財源である観光収入は大きく落ち込んでいるようだ。
ネパール滞在中、数か所の被災地巡りをした。ネパール人の平均寿命が68歳位とのこともあってか、全体の印象として日本より老人の姿が少なく若い人や子どもが目立つ。
人口の80%はヒンズー教徒で信仰心が厚い。「輪廻転生」を信じているせいか、都会の人も地方の人たちも貧困や大震災にもめげず、みんな逞しく明るく生活しているように感じられたのは私の思い過ごしであろうか。(完)


おおた社会福祉士会事務局

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